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同盟通信は太平洋戦争中どんな報道していた?

Q:共同通信の前身は同盟通信というそうですが、その同盟通信は、太平洋戦争中はどんな記事を配信していたのですか?(21歳女性)

A:共同通信の前身、同盟通信は、1936年1月に発足しました。31年に満州事変が勃発し、国際情勢が急速に緊迫する中、国家総動員体制を構築しつつあった政府が、当時の二大通信社の合併を仲介して誕生させた事実上の「国策通信社」でした。

そんな誕生の経緯からも想像できる通り、太平洋戦争中の同盟通信の主な役割は、国民の戦意を高揚する宣伝報道を担うことでした。

同盟通信1

ただ、残念ながら、共同通信にも、その他の後継組織にも、同盟通信が戦時中に配信した記事の現物は残っていません。敗戦直後、戦犯の罪に問われることを恐れた幹部が焼却を指示したとされています。

この大規模な野焼きの煙は、数日間にわたって、同盟通信本社があった東京・千代田区の日比谷公園を覆ったと伝えられています。

とは言え、配信記事の一部は、それを掲載した新聞社の縮刷版などで見ることができます。「○○発同盟」と、発信地のクレジットがついた同盟通信の外電は、当時、世界でも類を見ない規模で張り巡らされた無線通信網や、専用飛行機によって運ばれ、世界各地の戦況を伝えていました。

こうした配信記事とは別に、同盟通信は「同盟写真特報」という張り出し用の日刊写真ニュースを作製、全国に配布していました。

共同通信は近年、その一部を入手しましたが、このうち、41年12月の日米開戦を伝える特報には「征(ゆ)くぞ今こそ暴戻(ぼうれい)米英の撃滅へ」と、国民を戦争に駆り立てる見出しが踊っています。

また、日本兵と交流するアジア諸国の子どもの写真を掲載するなど、欧米諸国の植民地支配からアジアを解放するという「大東亜共栄圏」構想を宣伝する内容も目立ちます。

58年発行の「通信社史」には「正に戦場だった」という当時の同盟通信編集局の様子が次のように書かれています。

「(中国大陸の戦況を扱う)東亜部には、前線から中継地を経由し、無線と電話とで送られてくる原稿が日々うず高く積み上げられる。…1日の検閲原稿は大本営だけでおよそ40~50本。このほか情報局の検閲を受ける原稿を合わせると相当な数に上る」

当時の同盟通信は「日の丸の翻るところ同盟あり」のスローガンの下、日本軍の行く先々に野戦支局を開設していました。

通信社史によると、44年4月時点の同盟通信の海外総支社局は約70カ所、職員数は中国と南方だけで約1700人にのぼっていました。現在の共同通信の海外特派員が約70人ですから、いかに前線報道に力を入れていたかが分かります。

同盟通信2

しかし、同盟通信には、こうした宣伝報道以外にも重要な役割がありました。

太平洋戦争中の同盟通信は、戦争遂行のために必要な海外の情報を収集する役割を担っていました。

このため、政府からは機密費名目で多額の助成金が支払われ、海外通信社が発信する無線を独占的に傍受する権限も与えられていました。こうして傍受した情報のうち、国民に流せないものを極秘扱いの「敵性情報」として政府首脳に伝えるのが同盟通信の重要な役割でした。

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しかし、戦況が日本に不利になるにつれ、大本営発表と海外からの無線が伝える情報の乖離は大きくなっていきます。ついには、海外通信社が伝える戦況について、大本営からの発表がない事態も生じてきました。

ある記者は戦後、当時を振り返って「(海外通信社への)対抗上、嘘のニュースでも書かなくちゃならない。…向こうは勝ったと放送するので、こっちも勝ったというニュースをでっち上げてそれを放送した」(新聞通信調査会「岐路に立つ通信社」)と打ち明けています。

この様に、海外の情報を独占し、政府とも密接な関係にあった同盟通信は、終戦に向かう空気をいち早く知る立場にもありました。広島での原爆使用を初めて認めたトルーマン声明を傍受して政府に伝え、終戦工作に向かうきっかけの一つを提供したのも同盟通信でした。

1945年8月10日には、政府による「ポツダム宣言受諾」を対外放送で発信。同盟発のこのニュースは、ロイターやAPなどの海外通信社を通じて世界中に流され、戦勝国の国民は戦争終結の喜びに沸きましたが、日本国民には5日後の玉音放送まで伏せられたままでした。

対外放送は軍による検閲の対象外でしたが、放送を知った陸軍当局者が「敵性情報を流すとはけしからん」と、編集局に詰め寄る場面もあったそうです。

敗戦から2カ月後の45年10月、「敗戦国の通信社は消滅させられる」と考えた同盟通信の古野伊之助社長は、占領軍の先手を打つ形で解散を決定。同11月から、同盟通信のニュース業務は新たに誕生した共同通信と時事通信に引き継がれました。

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間もなく、65回目の終戦記念日。報道に携わる者としては、平和への誓いだけでなく、戦争とともに歩んだ10年足らずの同盟通信の歴史を通して、真実を伝えるという報道の原点を再確認する機会にしたいと思います。(共同通信記者)

※戦時中の同盟通信をはじめ、散逸しがちな通信社に関する資料を収集して一般に提供する「通信社ライブラリー」が9月8日、東京都港区虎ノ門にオープンします。一般公開は9日から。問い合わせは、同ライブラリー、電話03-3593-1082へ。